Fairy Tale ５
シンには、大切な人がいる。
きれいなきれいな翠の瞳。ちょっと変わった藍色の髪。
痩せた体。シンのせいで、動かない右手。シンを、やさしく抱いてくれる左手。立つことも、走ることも出来ない足。
肉をほとんど食べなくて、だから、肉の多いのシンの餌から、あげられるものが少なくて。
お腹減ってるはずなのに、「動かないから大丈夫」って言って、好きな桃だってシンに譲ろうとするような人。
家族のほかに、大切だと思う人が出来るなんて思ってもみなかった。
しかも、それが人間だなんて。
でも、シンはやっぱり。
アスランが、大好きだったのだ。
「っあ・・・ぅン・・・・・」
細い手足をのたうたせ、シンの下で、アスランが喘ぐ。
少年を受け入れたそこは熱く、もう、とろとろに溶けている。
「シン・・・っ」
容赦のない突き上げに、ひくひくと体中を痙攣させて。
それでも名を呼んだ唇を、シンにぺろぺろと舐められた。
濃い唾液が糸を引いて、シンの喉が満足げに鳴る。
獲物を食い尽くした、獣の風情。
そう。
アスランは、シンの餌だから。
こうやって、毎日シンに食べられる。
それを、幸せだと、思う。
見上げると、細められた赤い瞳。
キレイなキレイなシンの瞳。
褒めてあげようと思って。
その前に、深く、突かれて。
「あ・・・んっ・・・・」
言葉の代わりに出た嬌声に、シンは本当に嬉しそうに笑っていた。
「アスランさん、気持ちいい？」
耳元で囁けば、こくこくと頷いて。
ずっとシンの背を抱いていた左手に、きゅうっといっそうの力がこもった。
痩せたアスランの腕には、あまり力がなくて。
どこか切なく、甘い感触をシンの背中に残す。
「アスラン、さん・・・」
この、甘くて、やさしい体。
全部、シンのもの。
最高の、ごちそう。
「やっ、あ、ああっ！」
びくんびくんと腕の中いっぱいに体が跳ねて、シンはもっと嬉しくなって、深く深く体の奥を楽しみながら、細い喉を甘く噛んだ。
互いの快楽に、止めをさすために。
汚してしまった足の間と、汗に濡れた白い肌を、一生懸命になって見つけた、一番柔らかい布を濡らして、拭ってやる。
舐めてきれいにしてあげる方が、シンは好きなのだけれど、アスランはこっちの方が好きみたいだから。
それでも、ちょっと誘惑に負けて、汗の引かない首筋に、鼻先を寄せて。
いい匂いをかいで、髪の間から伝った汗を、ぺろりと舐めて。
アスランが嫌がらず、シンの髪に頬擦りしてくれたので、シンは凄く嬉しくなった。
「好き。大好き」
だから、その言葉は簡単に出た。
「あんたが、落ちてきて良かった」
「・・・そうか」
アスランは、一度ためらってから、そっと左手を上げて、シンの背を抱いた。
「・・・・・・・俺も、ここに落とされて、良かったよ」
そう、本当に思えることが、不思議だった。
身分も、家族も、仲間も。人並みの暮らしも、体の自由さえも。すべてを失ったというのに。
代わりに、このぬくもりを得たと思えば、それを幸運だと思う。
失ったすべてが、この幸せの前では、まるで意味のないもののように、思う。
顔を伏せた、細い肩。薄い筋肉が動くのがわかって。
少年の手のひらが、やさしく、アスランの髪を撫でた。
「ねえ、あんたさ、俺のつがいになってよ」
不意に、シンがそう言って、アスランの瞳を覗き込んだ。
「こういうことするの、夫婦っていうんだろ？」
「・・・俺は、男だぞ」
「わかってるよ、でもさ」
シンの赤い瞳が、ふうっと翳った。
「でも、俺、あんたしかいないんだ」
ここには、シンとアスランしかいなくて。
シンが外に出ても、誰も、優しくなんかしてくれなくて。
だから。
「なあ、いいだろ？」
あんたにも、俺しかいないだろ？
少年の必死の様子に、アスランはただ、彼の望みを叶えることだけを考えて、頷いた。
「ああ、いいよ」
「やった！！」
とたん、本当に嬉しそうに笑ったシンを見上げ。アスランは、心躍らせると共に、この獣の少年を、ひどく哀れだと思った。
ここにいなければ。
自由にさえ、なれれば。
きっと彼は、同族の少女を見つけて伴侶にするだろう。
もっと、ずっと。幸せになれるだろう。
光の中、笑う少年の様子を想像し、アスランは本当に悲しくなって、シンの肩に額をすり寄せた。
この子は、ここにいてはいけない。
それだけは確かなのに。
それでも、このぬくもりを惜しむ自分が、ひどく、惨めだった。
大好きな人を抱いて。
その人の、夢を見る。
たった一度だけシンを抱いてくれた右腕が、いつもやさしく抱いてくれる左腕と一緒に、ぎゅうっとシンを抱いてくれた。
その腕に、くんくんと思う存分甘えて。
それから、その人の瞳と同じ色をした、家族と暮らした湖のほとりで、一緒に遊んだ。
アスランは、シンと同じくらい足が速くて、追いかけっこをしても、なかなか捕まらない。
緑の草を蹴立てて、一生懸命に走って。
いつの間にか一緒になっていた妹と、二人でやっと追い詰めて。
飛び掛ると、「降参」と言って、その印に、鼻先にキスをしてくれた。
シンは楽しくて嬉しくて、捕まえたアスランをたくさん舐めた。
日の光を受ける、翠の瞳。しなやかで優しい腕。
楽しそうに笑うアスラン。
目が、覚めて。
綺麗だったと思うたび。
楽しかったと思うたびに。
悲しくてかなしくて、涙が出た。
この人は、もう二度と、立つことも走ることもできないのに。
二度と、両の腕で、シンを抱いてくれることなんかできないのに。
だから、シンはひんひんと鳴いて。
「帰りたい・・・」
そう、呟いた。
せめて。
あそこに帰りたかった。
あの、翠の湖のほとり。
家族と暮らした、妖精の里のふもと。
人間のアスランを連れて、あの場所に行くことは叶わないけれど。
せめて、緑の明るい場所へ。
帰りたかった。
子供のように泣くシンを、精一杯抱いてやりながら、アスランは彼を慰める言葉を、一生懸命に探していた。
でも、そんなものは見つからなくて。
「お前、寂しいのか」
やっと言えたのは、そんな言葉で。
「寂しくなんか、ない。だって、あんたがいるんだよ？」
そう返されて、心躍らせ、そんな自分の浅ましさに、すぐに、落ち込んだ。
「・・・帰れないのか？お前、外に出されるだろう。その時にでも・・・逃げられないのか？」
ずっと国境にいたアスランは、シンと一緒に仕事をしたことはなかったけれど、近衛軍の飼っているケルベロスのことは有名だった。
強い強い野生の獣。
それなのに、何故？
「妹が・・・一緒に、捕まって。言うこと聞かなきゃ殺すって。人質なんだ。だから」
だから、逃げられないのだと。
妹のことを思い出し、シンはいっそう泣きじゃくり始めた。
可愛い妹。
シンたちの家族は、母親の病気を癒すために、群れと離れて妖精の里のふもとで暮らしていた。
だから、いつも二人で遊んでいた。
大事な、妹。
「ずっと、会えないんだ。声、だけなら、時々聞かせてもらえるけど・・・」
妹のためだから、この暗い檻も我慢できた。
ケルベロスの誇りを捨てて、ヒトの言うなりにもなった。
でも、会えないのは辛い。
アスランに擦り寄るようにして、ひんひんと鳴くシン。
それを、可哀相だと思う。
アスランにも、帰りたいと思う場所はあった。
会いたいと思う人も、いた。
生まれ育った古い家。
優しかった母さん。
大好きだった友達。
でも、母さんは死んでしまって。
友達も、会いに来なくなった。
あの場所は、もう、なくなってしまった。
だから、アスランの幸せは、もう、ここにしかないのだけれど。
アスランはここにいて、とても幸せだけれど。
シンは、ここにいては、決して幸せにはなれないのだ。
そんなことを、こういう時に、思い知る。
だから。
「・・・本当に、いるのか？」
「何が？」
アスランを見上げる赤い瞳。
この子の、妹は。
「お前の妹は、本当に捕まっているのか？」
アスランは、先ほどから離れない疑問を口にした。
「俺は、ずっと国境の遠征軍にいたから、あまり詳しくはないんだが。・・・近衛軍がケルベロスを捕らえて使役しているという話は聞いていた。だが、それは一頭だけだったと記憶している」
もし、それが本当ならば。
「お前の妹は・・・本当に、生きているのか？」
「あんた、何・・・っ！」
シンの爪が、アスランの肩に食い込んだ。
あっと思う間もなくそれは皮膚を突き破り、血があふれ。
しかしアスランは表情も変えず、その前にシンが我に返り、慌ててその肌から爪を引き抜いた。
「あんた、何言ってんだよ。生きてるに決まってるじゃないか」
そうだ。
生きてるに決まってる。
あの可愛いマユが、死んでしまったなんてこと、あるわけがない。
あの子が、もういないなんてこと、あるわけがない。
「最後に妹を見たのは、いつだ？」
しかし、アスランは許してくれなくて。
「捕まった時だけど！でも、声とか聞けるんだ！・・・時々、だけど」
「声くらいなら、なんとでも・・・」
「そんなことない！」
一生懸命に言い募るシン。
その必死さが、彼の不安を如実にあらわしていた。
「一度、確かめた方がいい」
「どうやって」
シンに、そんな想いをさせるのは可哀相だったけれど。
でも。
「その子は、どこに捕らえられているんだ？探して・・・助け出せないのか？」
「簡単に言うな！」
声は荒くても、真っ赤な瞳からは、涙がほろほろとこぼれ続けて。
それ以上を言えなくなってしまったアスランは、「ごめん」と小さく謝ってから、濡れた頬にキスをしてやった。